野毛大道芸の事務所で生まれた異色のコンビ!

アンドレイは、99年6月から横浜に住んでいる。ボリショイサーカスの一員として日本巡業中に、今の奥さんと出会い、お互いに一目惚れ、結婚、日本でのビザも取れた。これだけサーカスが人気の日本だったら、仕事も簡単に探せるに違いない。アンドレイは甘く考えていた。しかし現実は甘くない。欧米と違って、サーカスの芸人が働ける場は日本にはほとんどないといっていっていい。しかも彼の芸は、中身は濃いのだが、わずか5分のショー。イベントや大道芸でやるにはあまりにあまりにも時間が短すぎる。大使館のつてをたどって私のところをたずねてきた、日本で芸人として働くには“質より量”と説明するのだが、アンドレイは納得しなかった。そばで心配そうに話を聞く奥さんのお腹の大きさが目立つ。10月末には赤ちゃんが産まれるという。のんびり仕事を探す暇はなかった。 野毛大道芸事務局の大久保さんにも一緒に相談にのってもらうことにしたが、最低20分は出来ないとねという話を聞いて、アンドレイも少しは状況が呑み込めてくる。稽古して新しくショーを作るといっても時間がない。ここで3日前にあったクラウンのヤマの顔が浮かんだ。アンドレイも卒業したモスクワのサーカス学校で10ヶ月間道化師始業をしてモスクワから帰ったばかりのヤマは、モスクワでいい先生につき、道化師の奥深さを知って、これからここで学んだことをもとに、道化師として仕事をしたいと思って帰ってきたものの、実際に彼を待っていた仕事はモスクワで学んだことを生かせるものではなかった。これではいけない、でもどうしたらいいのだろうと悩みを打ち明けていた。いっそのこと、このふたりを組ませたてやればいいのではないだろうか。ふたりをすぐに引き合わせた。食事の席でのことだった。「年は27,同じだ」と握手、「いま仕事ない、同じ」とまた握手、「どうして食べていってる、奥さんに食わしてもらっている、同じ」とまた握手、「おれたち兄弟みたいだな、そうだ、モスクワブラザーズだ」 こうして珍ユニット「モスクワブラザーズ」は生まれた。ふたりは野毛山フラスコで稽古を開始する。しばらく稽古もできなかったアンドレイに精気が戻ってくる。しかし子供の出産を目前に控えた奥さんの不安はつのる一方だった。このまま果たしてほんとうに仕事が見つかるだろうか。一時は故郷の北海道に一緒に帰ることも考えた。帰ってしまえば今までの稽古は無駄になる、といっても生活はしなくてはいけない、アンドレイは悩みに悩む。大久保さんがいくつか仕事を探してくれ、奥さんも少し安心し、出産のために単身北海道へ戻ることになった。そして10月3日 モスクワブラザーズは晴れて横浜デビューを飾る。短い練習期間で、もちろん息がぴったりというわけにはいかなかったが、まずまずの出来だった。アンドレイは日本で初めて、芸人としてギャラをもらった。ふたりは今まで母親代わりに面倒をみてきた大久保さんに初仕事のお礼に、猫の置物をプレゼントした。 モスクワブラザーズは、まだスタートしたばかり、いまも毎日練習を続けている。ふたりが奥さんの手を煩わせずに、自立できるのはまだもう少し先になるだろう。【文・大島幹生】